空手部監督ブログ
2025年3月26日 水曜日
遊就館へ
師範を偲ぶ会の開始前、ぶらり途中下車で、飯田橋です。母校法政大学のお膝元、靖国神社参拝。境内にて、その資料館である遊就館を拝観です。そこから、法政のタワーが見えます。幕末から終戦まで、祖国の未来に命を捧げた幾万の御霊。吉田松陰から東条英機まで、、、。想いがのしかかる。何か持って帰ってきちゃったかな。首から背中が重く痛くなってます。そこは、医療機器のルティーナとアキュースコープ。電療でケア。又、縁結び、東京のお伊勢参りで有名な東京大神宮も、続けて参拝。長蛇の列です。偲ぶ会での思わぬ大学の先輩や後輩との出逢いが良縁であったと信じてやみません。パワースポットってあると思うんです
2025年3月23日 日曜日
師範を偲ぶ会
自分の空手道の師匠、法政大学剛柔流空手道部 高津師範が亡くなり、偲ぶ会が20日(祝)、町田にて。数多の旧交を確かめることができたと同時に、数多の去っていった人たちの想いも合わせて。自分もその一人。「おかざき、組手たのむな」と空手部の監督となり、コロナ禍で部存続の危機、部員1名。SNSを駆使する中で、助監督はじめ、現役部員を残し退任。沢山の過ちをしてきたと、当日、参列されなかった者たちの想いに合わさって、苦しみが渦を巻く。当時の助監督のKが監督をしていて、懇親会で現役学生と交流。今度、大学に行くねと約束。現在、19名で春の新歓で30名を目指すサポートを。悔恨と懺悔、贖罪との思いは、誰にも伝わらないのだろうけれども、自分は行かねばならんのです。自分の人格が作られる上で、大きな影響を与えて下さった師範の冥福を祈り、稽古に行かねばならんのです。結手
2023年3月23日 木曜日
駒田という男
WBCの興奮冷めやらぬ中、各選手の輝きは勿論、栗山監督の指導者像に目がいく自分。サッカーの森保監督然り、選手の価値観を受け入れつつ、チームの方向性をしっかりと示す姿は感服です。自分も同じスタイルで空手部監督をしてきたつもりでしたが、挫折。環境のせいにはできません。栗山監督、森保監督にも抵抗勢力、軋轢は存在しただろうし、それに対する解決策や対応がさすがなのだろうと推察します。さて、日本プロ野球に目を向けますと、10年前、当院において、雑誌の対談をした駒田さんがジャイアンツの3軍監督としてキャンプを向かえています。楽天2軍コーチ時代の苦労を話されていたのを思い出します。それから、月日が経ち、今でも指導者として頑張っている、軸が太い。施術もさせてもらいましたが骨も太かった
2023年3月20日 月曜日
友よ 水になれ
NHKスペシャル バタフライエフェクトでブルースリーの特集がやっていました。武道を探求し、カンフーからジークンドウ(戴釧道)という自らの武道を編み出したレジェンドです。色々な格闘技の要素を取り柄れた、型にとらわれないものです。アメリカと中国のハーフで香港でも人種差別を受け、アメリカに渡ってハリウッドスターになっても人種差別を受けます。彼の精神性が中道思想を育んだのでしょう。先の香港民主化運動にて「DERE FUREND BE WATER」がスローガンとなったり、ユーゴ民族紛争においても。当地においてブルースリー人気は不動のようです。いざ空手道、難しいですね。執着から抜き切れない。松濤館流の船越義珍の「人格完成に努めること」そして、柔道整復師会の倫理要綱でも「人格陶冶に励むこと」。人格は経験した記憶に付与されるものといわれますが、体験が大事ですね。「考えるな 感じろ」ブルースリーのファイトスタイルが好きで、よく裏拳を使っていたな~
2023年1月4日 水曜日
礼に始まり 礼に終わる
大学箱根駅伝、我が法政は7位。シード権獲得おめでとうございます。TVを見てて、裏方、サポートメンバーへのクローズアップが随所にみられたのは大変喜ばしい事でした。オール法政新年会の席で陸上部の選手と少しコミュニケーションをとる機会もあり、至って普通の学生だったなとの記憶が甦り、そんな学生達に、素晴らしい体験を与えられる箱根路は昔、「箱根の山は天下の剣」と謳われ、艱難辛苦は珠となすとの格言は不朽なんだろうと思うのです。大学空手部監督時代、学生からの挨拶、礼に対して、返礼を心がけていましたが、タスキを繋いだ選手とスタッフの絆は美しく、その体験はかけがえのないものですね。さて、昨年、サッカーワールドカップにて、クロアチア戦、試合終了後、森保監督がピッチにて深々とスタンドに向かい、立礼を尽くす姿が話題となりましたが、そういうことなんだろうと思います。2023年(令和5年)1月4日、本日より診療を始めます。ぺこり90度、かしこ
2022年11月4日 金曜日
諦めたらそこで試合終了
スラムダンクの劇場版が、12月に公開されるとの事。にわかに聖地巡礼スポット(鎌倉高校前駅、江ノ電踏切)が騒がしいようです。マナーは守っていきたいものです。また、鎌倉湘南、仙台、広島、武蔵野北高、、。実在する建物がモチーフに。井上雄彦先生の奥深さですね。スポコン漫画も時代の変遷を感じますが、1990年に「週刊少年ジャンプ」で連載されてる頃、自分は大学空手部員でどストライクでした。そして今、安西監督の一挙手一投足が手に取るようにわかるのです。根性についての造詣を深く考えさせられます。訳あって自分の監督退任も根性がなかった所以なのか。自分の心の奥底を知る者は、ほんの一握りで、殆どは他者への無関心。最近も、自分の言い分ばかりだなとたしなめられる出来事が。それでも尚、自分の「道」を諦めずに歩み続ける、「諦めたらそこで試合終了ですよ、、?」だとしても、予定調和を嫌い、同調圧力に屈したくない生き方。新しい事に挑戦するのは厳しい事です。断固たる決意、未だ至らず、未熟です
2022年6月20日 月曜日
想い出はモノクローム
かつての主将も入社3年目、仙台へ転勤という報を受けて、船橋駅近は鳥一へ。のん兵衛の知人のお勧め、赤ちょうちん、その暖簾をくぐると、ザ・昭和です。伝票も手書きで、注文も早いと、ちょっと待ってねとお婆ちゃんお勧めで、鳥わさ、みそ和え、もろきゅうと、、「はい、全部頂戴」。焼き鳥も美味しい。灰皿も銀皿。ん~、そういうところです。店内は混んでいて、相席スタート。コロナ禍で、空手部の運営も苦難の連続で、彼と共に、部の在り方を模索し続けた日々、その経験は社会人になり、生かされているかの問いに、「よくわからないですが、そうなのかもしれません」と、さすが、いまどき~
微笑みながら、大学時代、体育会系の経験を生かして、銀行、証券、生保と営業職に飛び立つ回りを尻目に、接骨院業界の昔の徒弟制度が色濃く残るフィールドで、負けじ魂、なにくそと生きていた「アオハル」を思い返すには、ばっちりのお店でした
人材育成をひたすら深堀りした監督時代、彼は彼なりの個性で、仕事をしている姿にほっこりです。そして、振り返る過去は戻る事はなく、鮮明に覚えていたとしても、今ではなく、色は落ちます。でも、経験や体験は、かけがえのない財産、大事に心の奥底にしまっておきたいものです。そして、この一瞬、一瞬の積み重ねが、それを作り上げるものなれば、今を大事にする道理もうなづけるかな、Y君、、なんつって
人に寄り添う整骨院、六実,高柳が最寄り駅、鎌ヶ谷市の岡崎整骨院からでした
2022年5月12日 木曜日
想ひではセピア色

部室に置いておいた創部50周年記念誌を回収したく、助監督のKに連絡したところ、鎌ヶ谷に届けて来てくれるとの事。焼肉きんぐ新鎌ヶ谷店にて焼肉でも奢ろうかと。部の現状を報告されて、自分で力になれる所があれば、何でも言ってくれと返答。彼が尊敬する歴史上の人物はチェ・ゲバラだそうで信念に生きたその人生を語っていましたが、彼もまた、自分の信念に生きる尊敬すべき男です。先輩はだれですか?と問われましたが、あれ?いない。皆、為政者、権力者は嫌いで思い浮かびませんでした。今になってふと、あっ、西郷隆盛だ!と。隆の字は亡き父がその字をとって名付けてくれた名前。小学生の頃、伝記を読み、ふむふむと。信念に生き、彼を慕う部下の為に死んだ生き様に、今、共感しています。さて、記念誌を開いて、自分の寄稿を読むと、古いアルバムを開けて、当時を懐かしむ感なのですが、今も昔も変わらぬ自分がそこにいました。思い出は色褪せていって、記憶は時間と共に遠ざかっていきます。しかし、経験したものは、苦く、辛く、悲しみに満ちたものであっても、糧になっていて、財産なんだと改めて感じるのでした。患者さんの身の上話をお聞きすることがあります。その時に、人に寄り添う姿勢がとれているかと問われたら、ありのままの自分で出来ているんじゃないかなと思います。付記。個人情報保護を尊守します
六実,高柳が最寄り駅、人に寄り添う整骨院、鎌ヶ谷市の岡崎整骨院からでした
2020年10月26日 月曜日
空手部監督ブログ終了

事ここに至り、監督退任という顛末。自分らしく生きていきたいと思うのです。慚愧の念耐え難し。これをもって法政大学剛柔流空手道部監督ブログは終了となります。1年半という短い期間でしたが、閲覧された方には感謝致します。
鎌ヶ谷市の岡崎整骨院からでした
2020年10月22日 木曜日
鬼滅の刃
勧められて、気になっていたアニメ、鬼滅の刃。先日、テレビで放映していたので録画。少し漫画を読んでいたのですが、じっくりアニメを見て、心の琴線に触れました。炭次郎と禰豆子の家族愛、絆に震えます。希薄な世間に、誰しもが追い求めてつかめない。そんな憧れを抱いて見る人は少なくないでしょう。自分が不器用がゆえに、苦しむ絆。金銭的にも苦労する始末。患者さんとも世間話を。治療を円滑に進める為の調味料。少しでいいですね。全集中、治療の呼吸。武道のヒントとしても。大変役立ちました。呼吸、大事です
鎌ヶ谷市の岡崎整骨院からでした